どうも、ハイ子です。
今日は花金。
でも安定の予定ナシ子です。
Amazonプライムミュージックでスピッツをシャッフル再生をしていたら「さすらい」が流れてきました。
そうだ、どこに需要があるのか分かりませんが、昔の思い出話をしたためてみよう。(唐突)
私は1997年当時、中国は北京に留学していました。
当時の女友達(日本人)は、ことごとく彼氏ができてしまい、旅と言ったら一人旅が定番でした。
今は恐ろしくて中国の流しのタクシーなんて乗れませんが(今は治安が良いのでしょうけど)、若いってある意味無敵ですね。
そして表題のお話です。
鄭州という場所に1人で旅行に行った時の事。
駅に到着したのが夜の8時を回っていました。
暗くなってからの駅周辺は危険だと言われていたので、明るいうちに到着するのが女一人旅の「鉄則」ですが、当時の中国はそんな頻繁に長距離列車は走っていなかったので、致し方なくその時間になりました。
そんな事情から、事前に駅前のホテルに狙いを定め、駅に着いたらわき目も振らずにばく進するつもりでした。
しかし初めて降り立つ駅。
結局「私、右も左もわからない日本人なんです…」と言わんばかりに地球の歩き方を手に、キョドッていたところ、おじさんに声を掛けられました。
どうやらおじさんはバイクタクシー(原付バイク)の運転手のようです。
しきりに「俺のバイクに乗れ」と言ってきます。
そして何やら手帳を取り出して、当時日本で(今も?)流行っていたプリクラを見せてきました。
そこには日本人らしき人のプリクラがたくさん貼られていました。
「これみんな俺のバイクに乗った日本人!」と、私を安心させるつもりなのか、誇らしげに説明を始めました。
私はそれを遮って「今日は駅前のホテルに泊まるので、バイクはいりません」と伝えました。
するとそのおじさんは「どこに泊るの?案内してあげるよ」と半ば強引に私の前を歩きだしました。
改札を出て、ものの2分ぐらいでホテルに到着したのですが「空室はあるか?一泊いくらなのか?」等々…頼んでもいないのに私の代わりにフロントの人と話を始めました。
ああ、面倒なおじさんにつかまってしまった…。
おじさんは「明日の予定は?」と聞いてきました。
観光にいくなら、おれのバイクタクシーを使えと言ってきます。
北京から往復の列車以外はすべて公共バスで移動するつもりでしたが、おじさんの圧に負けて朝8時にフロントで落ち合う約束をして別れました。
その晩は無事おじさんのおかげ(?)で予定のホテルに泊まることができました。
しかし、面倒くさそうなおじさんだったし、一人旅の醍醐味が奪われる気がしたので、約束の朝8時より前にこっそりチェックアウトしてしまえ…と考えていました。
翌朝、あいにく私は盛大に寝坊し、フロントからの電話でたたき起こされました。
電話の向こうにおじさんがいるようです。
やっちまった…。
もう逃げられない。
きっとおじさんがフロントマンに袖の下でも渡しているのでしょう。
「おい、早くしろ」と電話口でおじさんに叱られ、慌てて準備をしてホテルをチェックアウト。
なぜ客の私が怒られているのか、意味が分からないのですが、観念しておじさんと二人旅を楽しむことにしました。
ちなみに人生初の2ケツが、中国のおじさんになるとは思ってもいませんでした。
渡された香ばしいヘルメットは、最初躊躇しましたが死にたくないので、しっかりと被らせていただきました。
最初の目的地のお寺(白馬寺)では、頼んでもいないのにおじさんが「こいつは俺の友だちだ。
日本人だけど、中国人料金で入場させてくれ」と窓口の人に訴えていました。
や、頼んでねぇし。
おじさんは受付の人に「何むちゃくちゃ言ってるんだ」とあっさり断られていました。
私は間に入って「いいよいいよ、外国人料金払うから。ありがとうね。」と言って定価を払いましたよ。(当時の中国は割とどの施設に入るのも外国人観光客の方が料金は高かったのです。)
なんで客の私が気を遣わないといけないんだ。
なんとなく気まずい空気になりながらもお寺の観光を終え、続いては旅のメインイベント「中国三大石窟」の一つ「龍門石窟観光」です。
再び香ばしいヘルメットを装着し、おじさんと2ケツで移動です。
まあ、慣れてしまえば快適ですね。
龍門石窟は想像以上に楽しめました。
この石窟は川沿いの崖に彫られており、入口と出口が異なります。
おじさんは先回りして、出口で待っていると言って去っていきました。
私はのんびりと一人観光を満喫しました。
なんて解放感。
そして想定以上に長居してしまいました。
別に時間を決めていなかったので、自分のペースで見物していただけのことです。
結局3時間近くいたのではないでしょうか…。
すると出口でおじさんがかんかんに怒っていました。
そして「遅いぞ!逃げたのかと思った」と言われました。
そう、まだ代金を支払っていないのです。
とはいえ出口は一つ。
川に飛び込む以外に逃げる方法はありません。
しかも、おまえが勝手にに想定してた時間に遅れたからと言って、一方的に怒るのはどうかと思うのですが…。
やっぱり…おじさん、邪魔。
おじさんは「また、駅前に戻るの?明日は何するの?」と金づるの私を離そうとしません。
しかしかなり疲弊していた私は「明日は帰ります。今日はあの宿に泊まるので、駅には戻りません」ときっぱり断りました。
あの宿…とは、川向うに見えるおそらく徒歩でたどり着けるであろう宿でした。
おじさんはその言葉に諦めて、ここでお別れ&精算となりました。
確か80元(1,000円ぐらい)だったかと記憶しています。
記憶違いだったらすみません。
公共バスが30円(もっと安かったかな…)の時代なので、破格ですね。
とはいえ、何人もの日本人を獲得している(餌食にしている)だけあって、ぼったくり感はありませんでした。
まあこれでおじさんから解放されるならむしろ安いもんです。
最後におじさんから「プリクラちょうだい」と言われました。
日本人が全員プリクラ好きとは限りませんし、持っていたとしてもあげるつもりはありません。
秒で「持っていないです」と答えていました。
そして…私は「あの宿」で恐怖の一夜を過ごすことになったのです。
おじさん、元気かな…。
おしまい
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