どうも、ハイ子です。
昨日はNHKスペシャルの「ひとり団地の一室で」のドキュメンタリーを就寝前に見てしまい、どっぷりと「孤独死」について考えながら眠りにつきました。
ちなみに、こちらのドキュメンタリーですが、YouTubeに動画がアップされていました。
おそらくダメなやつなので、ご覧になる方は自己責任でご覧ください。
NHKオンデマンドの会員(有料)ならば、正攻法で見られるかもしれません。
NHKスペシャル 【ひとり 団地の一室で】 概要だけ、NHKの公式ホームページに載っていました。
こちらの番組は、2005年放送なので、何を隠そう17年も昔の番組です。
「孤独死」ということが、まだまだ「センセーショナル」なこととして扱われており、孤独死=不幸というイメージがかなり先行しているなという印象を持ちました。
しかし、この番組で取り上げられている人たちの注目すべき点は「ぼっち団地暮らし」に至るまでの過程が、決して孤独ではなかったということです。
例えば、結婚したけど病気が原因で働けなくなり、離婚した男性。
また、仕事に邁進するあまり家庭を顧みずにいたら、奥さんに逃げられた男性。
とどのつまり結婚したところで、最終的に「孤独」になる人もいるんですよね。
むしろ、ぼっちに慣れていなかったり、いままでが幸せだった分、それとの落差に耐えられず、引きこもってしまったり、自暴自棄になってしまったり…。
独身であれば「孤独」を覚悟で、それなりの血縁に代わる「リレーションシップ」をあらかじめ築くなり、趣味に没頭するなり、なんとなく「孤独」に対する耐性ができていると思うのです。
番組にでてくる人たちほどの「ドン詰まりな孤独」には陥らないかもしれないですよね。
この先「老い」がやってきて、そんな能天気なことも言っていられなくなるのかもしれませんが…。
しかしジタバタしたところで、死ぬときは一人なわけです。
話はちょっと飛躍してしまいますが、ハイ子の父方の祖母はかなりの長寿でした。
90歳を過ぎた頃から、結構なペースで認知症が進んでしまい、また息子や娘(ハイ子からするとおじ・おば)も、ほとんどが70歳を超えた高齢者です。
そんなわけで、おじおばが祖母の今わの際に駆けつけてくることはありませんでした。
祖母も認知症のせいで、我が子すら認識できなくなっていたので、結果オーライだったのですが…。
結婚して家族がいたとしても、長生きしてしまえば、配偶者に先立たれてしまうだろうし、下手したら子供が先に亡くなる可能性だってあるわけです。(実際、ハイ子父は祖母より先に亡くなっています)
とどのつまり、あの世に旅立つときは、いつだって「一人」なのです。
一緒にあの世に行ってくれる人がいない以上「いっせいのせい」で手をつなぎ「あの世」にいけるのは、映画やドラマの世界だけです。
「死」がいつ何時訪れるかは、誰にもわからないのです。
今回このドキュメントを見て「孤独死」の「孤独」の部分ばかりが前面にでてしまい、その人の人生全部が「孤独だった」みたいな取り上げられ方に、若干の違和感を感じました。
たしかに17年前は、まだまだ社会全体が「孤独死」に対する理解度が低かったのかもしれません。
「孤独死」を考えるとき「可哀そう」「不幸」「受け入れがたい」という負の感情がが湧き上がってしまうのは、仕方のない状況だったのでしょう。
しかし、今はそこまでの負の感情は湧かないかもしれないですよね。
そして「人は死ぬときは一人です。だからこそ、万が一のことがあったら、亡骸をすぐに見つけられる仕組みを作りましょう」という方が、建設的で良いと思うのです。
もちろん、人の死は悲しいので、涙が出るのは当然です。
そこに「孤独」というフィルターは不要な気がします。
孤独に死んで、誰からも発見されず、何日間も放置…という事実が問題なのであって、「死」の瞬間にぼっちであることは、なんら不幸な話ではないわけです。
生涯未婚率がどんどん跳ね上がっている昨今では「孤独死」に対する見方もだいぶ変わってきているとは思います。
でも、やっぱりネーミングが良くないなぁ…。
そう思いませんか?
亡くなった側の人間からすれば、最後の死に方だけ切り取って、あげく「孤独」というイメージが先行するような名称で呼ばれるのは、不本意だし、むしろ失礼な話ですよね。
ただの「突然死」のほうがしっくりくるんじゃないでしょうか…。
ちょっと話がまとまりませんが、とにかく死ぬときは誰でも一人、そして人の「死」は悲しい。
そこには、なんのフィルターも理由も、必要ない。
ただただ純粋に悲しい。
それだけでいい…と思う、独女おばさんでした。
ただ一方で、誰も悲しんでくれる人がいないのが、本当の「孤独死」なんでしょうね。
でもその人は、もしかしたらそれだけたくさんの人を見送ってきたのかもしれないですよね。
たまたま最後の一人になってしまっただけ。
死に方だけでは語れない。
人の一生は、ひとそれぞれに語りつくせぬ「ドラマ」があるということです。
おしまい
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