どうも、ハイ子です。
さて、今回はまた第二次世界大戦のお話です。
先日8月19日(木)に、クローズアップ現代で放送されていたものです。
第二次世界大戦に出征し帰還後に精神疾患を発症した元日本兵の方のお話が取り上げられていました。
精神疾患について戦時中は戦争への恐怖で発症する兵士はいないと存在すら認められませんでしたが、戦後になり戦争や関連する公務が原因と認定されれば国が医療費などを負担しました。
今回開示されたのは昭和37年から40年にかけて、元兵士104人に対して行われた調査です
調査の概要は論文で発表されていましたが、資料そのものは明かされていませんでした。
番組は調査をした目黒克己医師(当時30歳)の証言と、追跡調査にてたどり着いた遺族の証言を交えて構成されています。
遺族の反応は「やはり…」という方もいれば、「知らなかった…」という方もいて様々です。
知らなかった…というのは、当事者が語りたがらなかった、また戦後復興の真っただ中の当時は、精神を病むということへの理解がなく、公言できる環境がなかったためと目黒医師は語ります。
そして調査資料の開示にこんなに時間がかかったのは、調査の過程で患者から聞き取った内容によっては、当時の日本兵の残虐行為が表面化するという問題があり、少なくとも50年は公表することは控えたほうが良いという指示があったともされます。
何を隠そう、私の祖父も、40歳を過ぎて出征し、ビルマ(現在のミャンマー)で捕虜となりました。
私は小学生の頃、当時90近い祖父にビルマでの話をしてほしいとせがみましたが、正直あまり話したがらなかった節がありました。
捕虜になった際は食料が足りなく、収容所近くの農家の方がフルーツを分けてくれたりしたそうです。
そんなほのぼのとしたエピソードはうれしそうにしてくれたのですが、それ以上につらいことは山ほどあったはずです。
母からも、あまりしつこく聞かないほうがいいといわれていました。
たしかに、祖父本人は思い出したくないという気持ちもあったのでしょう。
当時で戦後40年以上経っていましたが、それでも根深く、祖父の心に暗い影を落としていたのは間違いないようでした。
母は祖父が無事帰還してから出来た子供なのですが、祖母から言わせると、女の子が生まれてくれたことでだいぶ祖父の顔も穏やかになったとか…。
それまではたまに呆けたような顔をしたり、突然眼光するどくにらんできたりと、感情が定まらないような、戦争に行く前とは明らかに変わってしまったと感じることがあったそうです。
しかし祖母もあまり深く聞くことができずにいたとのこと。
その後も祖父は長い間、ビルマでの思い出を引きずって生きていたのだとおもいます。
それを象徴するようなことが祖父が亡くなる直前にありました。
死の直前ずっと寝たきりだった祖父が、突然起き上がり「○○隊長云々…」と敬礼をしたというのです。
意識が混濁する中で、思い出されるのは家族の顔でもなければ、幼いころの記憶でもなく、戦争の記憶だったとは…。
それだけ戦争は、壮絶に人の心に影を落とすのですね。
自分が体験したわけではないのに、テレビや本を見聞きしただけの内容ですら、気持ちが一日落ち込むのだから、まして自身が体験したとなったら当然かもしれません。
100歩譲ってそれが自分が受けた傷だったら癒えるのを待つこともできますが、例えばそれが人を傷つけたり、人の命を奪ったりという行為であったなら、それはもう一生ものだとおもうのです。
加害者側の気持ちの整理には、終わりがないのです。
それを正当化したり忘れたり、仕方のないことと割り切ったつもりでいても、何かの節に思い出すのです。
つくづく番組の題名「終わらない戦争」がしっくりきます。
人の命を奪うことが正当化される「戦争」はいつか終わりがきます。
でも、人の命を奪ったという事実は消えないのです。
それを個人レベルで一生抱えて生きていくというのは、いったい誰が責任をとってくれるんでしょうか。
誰が責任を負えるんでしょうか。
それは誰にもできません。
誰にもできないことは、最初からしてはいけないのです。
と、ハイ子は思います。
祖父はそれでもビルマで人のやさしさに救われたのでしょう。
私が幼かった当時、祖父はまだ一般的ではなかったマンゴーやパパイヤが大好きでした。
その味こそが、あの戦争の中で唯一感じられた人間の温かさだったのかもしれません。
表面的だったかもしれませんが、祖父が復員後に日常を取り戻せたのは、その優しさがあったからかもしれないです。
おじいちゃんに代わって「ありがとう」と言いたいです。
おしまい
番組は放送後、1週間以内であればNHKオンデマンドで見逃し配信で視聴可能のようです。↓↓
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